投稿者 undecuplet | 2010/01/29

ジョブズ(Steven Jobs)のことば~キンドル(kindle)とリベラルアーツ(Liberal Arts)

iPadの発表で、昨日一日は騒然としていた感じでした。あらためてアップルのマーケティングの巧みさを感じます。そして、それはそのキャンペーンは常にジョブズのプレゼンテーションで頂点を極めます。今回の彼のプレゼンテーションで、僕のこころにひっかかったことばは、キンドル(kindle)とリベラルアーツ(liberal arts)でした。

まずは、キンドル。彼のプレゼンテーションの中で、他社のものもとりあげられるときがままあります。しかし、それは否定のための前提がほとんど。「○○があった・・しかし、私たちはいま違う・・私たちはいま、□□を手にしたのだ・・」といったような節回しが彼の常套句だったでしょう。

今回のプレゼンテーションで、登場したのは、アマゾン(amazon)のキンドル。しかし、まったく稀なことに、彼はこの商品を貶すことなく、むしろ誉めたのです。もちろん、それに対抗してiPadがあるわけですが、それにしても他社の製品をここまで大切に扱うのは、いままでのジョブズにはないこと。

しかし、一方で、僕にはまさに「ジョブズらしい」と思えたのでした。

それは、彼のもうひとつのキーワード、最後の方のプレゼンテーションに登場する、「リベラルアーツ」ということばに集約されるのかもしれません。

ジョブズのそのあたりの表現を、zackyさんが彼のブログに上手にまとめていらっしゃるので、その部分をそのまま引用します。

“We’ve always tried to be at the intersection of technology and liberal arts — we want to make the best tech, but have them be intuitive. It’s the combination of these two things that have let us make the iPad.” (いつもテクノロジーとリベラルアーツが交わるところにこだわってきた。技術的に最高のものをつくりたい。でもそれは直感的でなければならない。これらの 組み合わせがiPadをわれわれにつくらせたんだ)

しかし、それにしても、リベラルアーツということば、この国では、本当に耳にしなくなりました。リベラルアーツにどのような訳語をあてるかは、難しいところがありますが、試しに、「リベラルアーツ」「大学」でグーグルで検索してみると、そこにでてくる大学名は、

桜美林、東海大、玉川学園、ICU・・

ある種の方向性があることに気づかされます。

そして、これらの総本山は、やはり、Arts and Sciences と英語の学部名をもつ、東京大学教養学部でしょう。ここでは学部名にあるように、「科学と芸術」=「教養」と定義しているわけですから、ここにリベラルアーツの語る「アーツ」の感覚が体現されているような気がします。(かつて大森荘蔵さんや村上陽一郎さんがいた、いわば教養学部教養学科・・・この響きになつかしさを感じてしまいます。いまの教養学部が多かれ少なかれ変質してきてしまっていることにあるのかもしれません。ちょっと余談でした。)

一方で「リベラル」の方は・・・といえば、これはこれで本質的な意味で日本語にするのは、難しそうです。

実は、いま出張先です。たまたま往路のJALの機内でみた機内誌SKYWARDで、浅田次郎さんのエッセイが連載されているのを読んだのですが、そこでとりあげているのが国際ペンクラブのことでした。

僕も知らなかったのですが、ペンクラブの発祥は英国。日本支部の最初の会長は島崎藤村でした。
そもそもPENとは、
P:Poets(詩人)と Playwritings(劇作家)
E:Editors(編集者)とEssayists(随筆家)
N:Novelists(小説家)
の象徴とか。そこで紹介されているPENクラブの憲章はすばらしく、こころざし高い理念に満ちています。ちょっと長いですが、引用してみましょう。

●P.E.N.憲章
1 文芸著作物(literature)は政治的なあるいは国際的な紛糾にかかわりなく人々の間で共有する価値あるものたるべきである。

2 芸術作品は、汎く人類の相続財産であり、あらゆる場合に、特に戦時において、国家的あるいは政治的な激情によって損われることなく保たれねばならない。

3 P.E.N.の会員たちは、諸国間のよき理解と相互の尊敬のためにつねにその持てる限りの影響力を活用すべきである。人種間、階級間、国家間の憎しみを取り除くことに、そして一つの世界に生きる一つの人類という理想を守ることに、最善の努力を払うことを誓う。

4 P.E.N.は、各国内およびすべての国の間で思想の交流を妨げてはならないという原則を支持し、会員たちはみずからの属する国や社会、ならびに全世界を通じてそれが可能な限り、表現の自由に対するあらゆる形の抑圧に反対することを誓う。P.E.N.は言論報道の自由を宣言し、平時における専制的な検間に反対する。P.E.N.は、より高度な政治的経済的秩序への世界が必要としている進歩をなしとげるためには、政府、行政、諸制度に対する自由な批判が不可欠であると信ずる。また自由は自制を伴うものであるが故に、会員たちは政治的個人的な目的のための欺瞞の出版、意図的な虚構、事実の歪曲など言論報道の自由にまつわる悪弊に反対することを誓う。

これが、1921年に発表されたかものと思うと、英国のその時代のことが思い出されます。

ちょっと飛躍があるかもしれませんが、つまり「自由」とは、これほどまでに、意志と理念によって守らなければならないものなのだろう、ということです。このあたりの「意志」の部分について、日本語の「自由」ということばにそのニュアンスが少ない感覚があります。なかなか素直に「自由」ということばをあてがうのは抵抗があるのはそのせいかもしれません。

ちょっと長くなってきましたが、つまり、「自由」を定義するときには、自らの自由とともに、他者の自由も尊重されなければならない。自らのアイデンティティーとはオリジナルな存在ということなのでしょうが、その意味で自らの立場にたつオリジナリティをもったアーツを語るときには、他者のオリジナリティをもったアーツも尊重した上で語られるべきなのでしょう。

この意味で、今回のジョブズのプレゼンテーションをみてみると、ここにおけるキンドルの扱いとは、そこに他者のオリジナリティを認めているといこうことなのかな、という気がします。敬意をもって表現しているのです。

彼のことばにあるテクノロジーとリベラルアーツの交わるところとは、すなわち、オリジナルであり、かつ人間の意志の自由が確保される方向にテクノロジーが用いられることがなければならない・・ということを意味しているのでしょう。(そしていわずもがなですが、いつも槍玉にあがるwindowsには彼はオリジナリティを認めていない・・ということでもあり、またそこに、人間の意思の自由を尊重される方向にテクノロジーが使われていない・・ということを感じ取っているのかもしれません)

ジョブズのこのことばに、今回ふたたびちょっとアップルファンになりました。僕にとってはキンドルは、世界の図書館とつなっがったとても大切な「扉」ですが、iPadが製品として登場の折には、ちょっと気にしてみようと思っています。

jal skyward


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