投稿者 undecuplet | 2010/01/30

テレビジョンと対極にあるもの~ラジオとキンドル(kindle)と・・・

掛かりつけの歯医者にいくと、口をあけて横になる以外することはない。そこでは、いつもJ-waveがかかっていて、沈黙と漆黒の世界の中で(歯医者ではいつも僕は目をつぶっている)、自分の脳の中に心地よい空間がひろがる。

ラジオの心地よさは、端的にいえば画がないことである。五感のうちのひとつが強制的に排除される中で、人間は自らの力でそれを補完する。その補完によって世界を創造するという行為こそがもっとも究極の快楽に近い、とも思う。

考えてみれば、心地よいものには常に何か意図的な欠落がある。キンドル(kindle)だって、動画は不可能だし、e-inkゆえに暗いところでは見られない。でも、考えてみればそれは紙の書籍と同じである。

紙の書籍で動画が見られても実はうれしくないだろうし、真っ暗なところでは、本は読まない。淡白な白色だけでできたキンドルゆえに、活字だけが目にとびこんでくる世界。そこから読み取られる「ことば」に触発された想像によって、三次元の世界が自分のこころの中に立ち現れる。キンドルはこの読書の快楽を見事に実現させていて、それ以外のものは、些少されている。ここにキンドルの魅力はあるのだろうとも思う。

その点、テレビジョンは真逆だ。映像、音声、すべてが至れり尽くせりである。テレビセットの前に座れば何もすることはない。その感覚的な飽和感がテレビジョンの持ち味なのだが、だからゆえに、誤解をおそれずにいえばそこに思索の試みの余地は感じられにくい。常にザッピングが可能だし、想像して自分で埋める快楽が少ないのだ。番組内容も数字を求めるあまり、次第により断片的な享楽の提供につきすすんでいる。

東京FMで「Tokyo copywriter’s street」という番組がある。コピーライターにより書き下ろされたショートストーリーが、音楽と朗読で奏でられるというもの。ラジオだからもちろん映像はない。一倉宏さん、中山佐知子さん、小野田隆雄さんほかのシナリオが素敵だ。そして大川泰樹さん、西尾まりさんなどによる、抑制のきいた過剰を排した語り口がまたいい。

まずは聞いてみてくだい。

どう、素敵でしょう。

目をつぶって、じっと聞くと、その世界に浸ってしまう。

先日、大川さんと話をしていて、「これって、テレビと対極にあるよね」ということで意見が一致したのだけれども、テレビジョンでは「浸る」という感覚を味わうことは、もはや難しいのかもしれない。

ところで、この「Tokyo copywriter’s street」のライブが2月20日に開催される。ラジオで目を閉じてしっとりと聞き入るのも楽しいが、ライブでその演者さんの空気感が伝わってくる中で聞くのも、また素敵な時間だ。昨年のこの会にお邪魔したのだが、自分の中の何かが研ぎ澄まされ、静寂とともに大きな感動に包まれるのは稀有な体験だった。

この快感とは、結局のところ、自分自身への問いかけなのだろうと思う。だがそれゆえに、このマイナスワンを埋める作業には、それなりのリテラシーが必要なのかもしれないとも思う。いまのメディア環境の中で、こどもたちがこのリテラシーを習得する機会があるかと問われるとわからない・・とこたえる自分がいる。

自分を感じ、自分の世界を広げ、自分を再構築する。いわば自分が再度、純化する作用は、マイナスワンを埋めていくという浸透圧のような力があってこそ可能なのだろうが、だからこそ得られるその絶妙の快楽は、結局のところ人を選ぶかもしれないとも思う。でも、だからこそ、この魅惑の世界にはまってしまった方にはぜひともおすすめなのだ。

Tokyo copywriters street live

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