投稿者 undecuplet | 2010/06/23

イシュトヴァン・ケルテス ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 新世界よりISTVAN KERTESZ VIENNA PHILHARMONIC ORCHESTRA [1961]

ドボルザークの「新世界」といえば、誰の盤を思い出すだろうか。カラヤンか、あるいはいまならば、ショルティ・シカゴ響のあたりが一番メジャーかもしれない。しかし、僕がやはり一番に思うのは、ケルテッシュの「新世界」だ。

DVORAK

FROM THE NEW WORLD
SYMPHONY NO.5(9) in E minor op.95

ISTVAN KETESZ
VIENNA PHILHARMONIC ORCHESTRA

指揮:イシュトヴァン・ケルテッシュ
演奏者:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ケルテッシュの新世界は、いま聴いても若々しくみずみずしい。アグレッシブでいて、それでいて、この曲のもつる種の土俗性も担保されていて、これほどまでに「新世界」らしい「新世界」は2度と生まれないだろうと思われる・・・そんな気にさせるアルバムである。

webでみつけたSACD盤の解説を引用してみる・・

弱冠32歳の若きケルテスが、名門ウィーン・フィルと共に描き出す、録音史上最もドラマティックな 「新世界」
オリジナル・アナログ・マスターからの究極のDSDマスタリングによって鮮烈に復活。
(前略)

名指揮者ケルテスのデッカ・デビュー盤

イシュトヴァン・ケルテス(1929.8.28-1973.4.16)は、ニキシュにはじまり、フリッチャイ、オーマンディ、セル、ショルティと続くハンガリー指揮界の栄光を受け継ぐホープとして、1960年代の指揮界を席巻し、アウグスブルク歌劇場音楽総監督(1960-63)、ケルン市立歌劇場総監督(1964-73)、ロンドン響首席指揮者(1965-68)などを歴任。録音面でも、デッカにウィーン・フィル、ロンドン響、イスラエル・フィルなどと数多くの名盤を残したが、1973年、テル・アヴィヴで水泳中に溺死し、その早世を惜しまれた。当アルバムは、ケルテスにとっての名門デッカ・レーベルへのデビューを飾った記念碑的録音で、特に日本では、1961年にキング・レコードから発売されて以来、ライナー/シカゴ響のRCA盤、バーンスタイン/ニューヨーク・フィルのコロンビア盤、セル/クリーヴランドのエピック盤、カラヤン/ベルリ・フィルのDG盤など並んで、「新世界」の定番LPとなった。当時32歳という若さのケルテスが、老舗のウィーン・フィルの奥深い響きを生かしつつ、ドラマティックなテンポの変化を加え、ティンパニの壮絶な強打 や金管の咆哮によって、作品に生気をみなぎらせてゆく様は、まるでライヴ演奏を思わせるほどのスリリングな熱気をはらんでいます。ケルテスは、5年後の1966年に、ロンドン響を指揮してこの交響曲を再録音し、若々しいダイナミズムの代わりに円熟味を獲得した演奏を成し遂げましたが、日本の音楽ファンの間では断然このウィーン・フィル盤の評価が高いとされています。
デッカ・サウンドを生み出した名ホール、ゾフィエンザールにおける名録音

プロデュースは、デッカでのケルテスの録音の多くを担当したレイ・ミンシャルで、ジェームズ・ブラウンとのコンビで収録に当たっていいます。1956年か ら1980年代にいたるまで、デッカのウィーンにおけるステレオ・セッションのホームグラウンドとなったゾフィエンザールは、19世紀前半に浴場として建 てられ、その後舞踏会場として使われていた建物で、ヨハン・シュトラウスも頻繁に舞台に立ったことで知られます。この会場は、細部の音まで明晰に収録・再現しようとするデッカのレコーディング・ポリシーに最適で、伝説的なショルティの《ニーベルングの指環》をはじめとする、デッカ・サウンドの代名詞となっ た名録音が次々と生み出されました。この「新世界」もその1枚で、粒立ちのよいティンパニ、香ばしい輝きを放つ金管、ウィンナ・オーボエやクラリネットな ど個性的な響きを披露する木管、シルキーでしかも厚みのある弦楽パート(特にゴリゴリとした低弦)などをくっきりと立体的に再現し、録音後、ほぼ半世紀を 経た現在も、その鮮明なサウンドの魅力は色あせることがありません。
あらゆる要素を兼備した、一つの理想的な「新世界」(初出LP評より)

「堂々たる構えの大きさと厚みのあるオケの響かせ方は、この曲をシンフォニックにとらえようとした結果だろうが、こうした行き方ではカラヤンなどよりずっと素晴らしい。それは単に交響曲的な解釈というに止まらず、そこにあらゆる多彩な要素が含まれているからだ。テンポの動きはかなり大きいし、又多いが、それがある場合には強烈に曲を盛り上げ、又ある場合には懐かしい情緒を感じさせながらしみじみと歌うのである。又弦楽器はウィーン・フィルの美点を充分に生かして、例の優美な憧れのニュアンスを心ゆくまで表現し、反対に金管にはウィーンとは思えぬほどの荒削りな強奏を要求して土俗的な曲の一面を描いてゆく。 それはティンパニの強打からくる迫力にも表れているのだ。(・・・)実に見事な、あらゆる要素を兼備した、一つの理想的な「新世界」といわざるをえない」。

ビデオ出力(宇野功芳『LP手帖』1962年より)

(後略)

この引用にもあるが、堂々たる構えの大きさ・・という一語につきるかもしれない。優美な弦のニュアンスとティンパニの強力な空間感。まさに「新世界」なのだ。かつてアナログ盤ですり切れるまで聴いたという僕自身の体験によるからかもしれないが、まさに、映像的な孤独な個性を感じさせ、彼の哀しい未来までもを予見させるようなできあがりなのだ。・・・まさに、一家に一枚、おすすめです。


フィードバック

  1. ほぼ50年ぶりにキングレコードモノーラル版を聞きましたが確かに色褪せた感はしないです。第二楽章のテーマがほかの演奏者(ジュリアーニ、ノイマンなど)と比べて非常に抑えられているような気がしますがどうなんでしょう。

    • ずいぶん前にコメントをいただきながら、きがつかず、失礼しました。ごめんなさい。コメントありがとうございます。確かに、妙にあざとくなく、抑制のきいた感じが、第4楽章との対比でも特にケルテスらしいのかもしれませんね。それにしてもやっぱりいちばん好きな新世界です。


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